涅槃会の集い 2018/2/14(水)
今日は、ホール舞台にある仏壇の前に掛け軸をかけて、三仏忌(花まつり、成道会、涅槃)の最後にあたる涅槃会の集いを行いました。
1年間、みんなの憧れの年長組の代表が交代で献香献花の儀式を行っていたのですが、卒園間近ということで、今回から年中さんに代替わりです。
少し緊張しながら粛々と真剣な表情で務めてくれました。
4月から年中組は43名となります。
代表に出るのがとっても待ち遠しく楽しみな子供たちです。
さて、
[うまれてさとってなくなる]
4月、12月、2月と、お釈迦様の一生を知った子供たち。
各お部屋で先生たちから涅槃会の話を聞き、ホールでは、ホンモノのお坊さんである園長先生のお話を聞きます。
ロウソクの火は命なんだよ と、吹き消される炎を神妙な面持ちで見つめては命の尊さを識る園児たちです。
死を知るということは、生き方を学ぶことだと思っています。
毎日を楽しく明るく元気に、何より健康に過ごしてくれることがいちばんの親孝行ですものね。
『おさとりの歌』はちょっとマイナーな感じの曲調ですが、子供たちは心を静かに、しんみりと切ない歌詞を歌い上げていました。
ののさまが横になり、その周りでは人も動物も小鳥も草木も泣いて別れを惜しんでいる‥‥という涅槃像の掛け軸をクラスごとにじっくり観に行ったのですが「カッパも泣いてるよー」「人もおさるさんも泣いてる」「のの様死んじゃったの?」と、感じた事を言葉にする子ども達。
何も言わずにそっと手を合わせている子もいました(涙)
人が亡くなってしまうととても悲しいこと。
命は一つしか無いこと。
自分の命を大切に生きること。
ゲームの中のバーチャルな世界では架空の人は何度も生き返ります。殴っても蹴っても実際には痛くも痒くもありません。
でも、生きてる人や動物はそうではないこと、草花や樹木にも命があること。
仏教行事は、子供なりの死生観をしっかり持って育っていくためのツールでもあると考えています。
躾とは‥‥
自分の命を何が何でも守ることができるようになること。
自分がされて嫌なことは人にもしない!
そのようにも思っています。
園長先生のおはなし
涅槃図
1年間、みんなの憧れの年長組の代表が交代で献香献花の儀式を行っていたのですが、卒園間近ということで、今回から年中さんに代替わりです。
少し緊張しながら粛々と真剣な表情で務めてくれました。
4月から年中組は43名となります。
代表に出るのがとっても待ち遠しく楽しみな子供たちです。
さて、
[うまれてさとってなくなる]
4月、12月、2月と、お釈迦様の一生を知った子供たち。
各お部屋で先生たちから涅槃会の話を聞き、ホールでは、ホンモノのお坊さんである園長先生のお話を聞きます。
ロウソクの火は命なんだよ と、吹き消される炎を神妙な面持ちで見つめては命の尊さを識る園児たちです。
死を知るということは、生き方を学ぶことだと思っています。
毎日を楽しく明るく元気に、何より健康に過ごしてくれることがいちばんの親孝行ですものね。
『おさとりの歌』はちょっとマイナーな感じの曲調ですが、子供たちは心を静かに、しんみりと切ない歌詞を歌い上げていました。
ののさまが横になり、その周りでは人も動物も小鳥も草木も泣いて別れを惜しんでいる‥‥という涅槃像の掛け軸をクラスごとにじっくり観に行ったのですが「カッパも泣いてるよー」「人もおさるさんも泣いてる」「のの様死んじゃったの?」と、感じた事を言葉にする子ども達。
何も言わずにそっと手を合わせている子もいました(涙)
人が亡くなってしまうととても悲しいこと。
命は一つしか無いこと。
自分の命を大切に生きること。
ゲームの中のバーチャルな世界では架空の人は何度も生き返ります。殴っても蹴っても実際には痛くも痒くもありません。
でも、生きてる人や動物はそうではないこと、草花や樹木にも命があること。
仏教行事は、子供なりの死生観をしっかり持って育っていくためのツールでもあると考えています。
躾とは‥‥
自分の命を何が何でも守ることができるようになること。
自分がされて嫌なことは人にもしない!
そのようにも思っています。
園長先生のおはなし
涅槃図